ジャニーズ新会社社長に就任予定だった東山紀之さんが辞退したことが報じられました。
東山さんに代わって、コンサルティング会社スピーディの福田淳社長が候補に上がっているようです。
福田淳社長とはどのような人物なのでしょうか?
学歴や経歴を調べてみました。
ジャニーズ新会社社長は福田淳社長が就任か?
「週刊文春」は10月30日、ジャニーズ新会社社長に内定していた 東山紀之(57)が社長就任を辞退したと報じた 。
そして東山に代わる新会社社長に、コンサルティング会社スピーディの福田淳社長(58)の名前が急浮上していることが、「週刊文春」の取材で明らかになった。
引用:文春オンライン
新社長は経営のプロに任せた方が、タレントや社員のためになると判断した東山紀之さんは、自ら身を引くことを決断したようです。
そのため、東山紀之さんはSMILE-UP.社の社長業に専念し、被害者の救済や補償業務を行っていくとされています。
確かに、今まで40年以上ジャニーズタレントとして活動してきた東山紀之さんが新社長になるよりも、外部から社長を招き入れた方が経営面だけでなく会社としてのイメージも良くなりそうですよね。
東山紀之さんは芸能活動を引退することも発表されていますが、SMILE-UP.の社長もプロにおまかせして、このまま芸能活動を続けるのもアリなのではと思ってしまいます。
そんな東山紀之さんが社長就任を辞退し、新たなる社長の候補として名前が上がっているのがコンサルティング会社スピーディの福田淳社長です。
正直、社長っぽくない見た目をしていますが、福田淳社長とはどのような人物なのでしょうか?
学歴や経歴を調査しました。
福田淳社長の学歴は?
福田淳社長は日本大学芸術学部を卒業しています。
日本大学芸術学部の偏差値は45~57.5と学部によって差があります。
福田淳社長が卒業した学科は公表されていませんが、大学では映画を撮っていたとのことなので映画学科だったのかもしれませんね。
小学校から高校までの学歴は明かされていません。
地元の公立校に通っていたため、明かしていないのかもしれませんね。
そんな福田淳社長は14歳くらいの時に『スター・ウォーズ』や『ヤング・フランケンシュタイン』を観て、映画監督を目指すようになったといいます。
お小遣いでフィルムを買い、初めは家族を撮っていましたが、ドラマを作り始めたそう。
ただ撮っているだけではフィルムと現像でお小遣いがなくなってしまうことから、作ったドラマで賞を取り、資金調達(ファイナンス)をしなければと考えました。
中学生でそこまで考えられるなんてすごいですよね!
福田淳社長はその考えを実行すべく中学生で立命館大学の映画研究会に入り、大量の作品を撮り高く評価される短編ドラマも生まれたそう。
その作品でお金を取って上映しようと計画したのが、中学3年生のときでした。
福田淳社長は無名の自分が企画したところで集客が難しいことはわかっていたため、『砂の女』(安部公房原作・勅使河原宏監督、1964年)と同時上映を計画。
結果は見事黒字になったといいます。
中学生の頃から経営の感覚を身に着けていたなんて、驚きですね!
その後、高校生になるとステップアップを目指し、大林宣彦さんや大森一樹さんなど様々な映画監督に手紙を出し、自身を積極的にアピールしました。
すると高林陽一さんが福田淳社長の映画を観て面白いと評価し、30万円の出資をしてくれることに!
様々な映画監督に自分から売り込みをし、出資までこぎつけてしまうなんて、なかなかできることではないですよね。
しかし、30万円出資してもらったものの、この映画は完成することが出来ず、熱を出して寝込んでしまうほどの挫折を味わったといいます。
順調なように見えて、大きな挫折も経験していました。
その挫折のまま大学受験をし、日本大学芸術学部に進学した福田淳社長。
大学時代も映画を撮り、途中からは演劇にも目覚めたりと“人を楽しませたい”という気持ちが尽きなかったそうです。
エンターテイメントに携わっており、経営のプロでもある福田淳社長なら、ジャニーズ事務所を立て直してくれそうですね!
福田淳社長の経歴は?
福田淳社長の経歴はこちらです。
- 1988年 東北新社に入社 CMのプロダクションマネージャーを担当
- 1995年 スター・チャンネルに出向し植村伴次郎氏のカバン持ちを担当
- 1998年 株式会社ソニー・ピクチャーズエンタテイメントのコンサルを担当
- 2001年 株式会社ソニー・ピクチャーズエンタテイメント バイスプレジデント(本部長・部長・次長クラスの役職)
- 2007年 株式会社ソニー・デジタルエンタテイメント 代表取締役社長
- 2018年 株式会社スピーディ 代表取締役社長
東北新社&スターチャンネル
大学を卒業後は東北新社という制作会社に就職をしました。
CMのプロダクションマネージャーを担当し、コカ・コーラのCMのほとんどを作っていたといいます。
この会社には9年間在籍しており、最後の3年間は創業者・植村伴次郎氏のカバン持ちを担当していたんだとか。
植村氏から考え方や経営、インテリアデザインなど様々な影響を受け、福田淳社長のビジネスの原点だと明かしています。
植村氏は誰も気付かないことをビジネスにして大きくする天才だとし、VHSが出始めると雑誌にビデオを付けたり、VHSのダビング工場を作ったりと一歩先を常に考えている人だといいます。
さらに数字が大好きな植村氏は、買付の際には買った金額やどれくらいで売れるかを1円単位で答えられないと怒られ、やっていることと数字を一体で言えるビジネスマンに育て上げてくれたそうです。
1円単位まで把握するという厳しい指導があったからこそ、今の福田社長があるのですね!
株式会社ソニー・ピクチャーズエンタテイメント時代
東北新社を退社すると、ソニー・ピクチャーズエンターテイメントが「JスカイB」(スカパー!の前進)に資本参加するタイミングでコンサルトして参加。
するとすぐに事業開発の責任者となり、バイスプレジデントとして役職につくこととなりました。
「アニマックス」「ANX」を立ち上げるとすぐに黒字化。
福田淳社長の敏腕さが伺えますね。
そのタイミングで「iモード」が始まったことから、ゲームのライセンスや待ち受けの部門を作り、2つの事業を掛け持ちしていました。
当時、新部門の社員が4人くらいしかいませんでしたが、時代の流れが邦画から洋画に移り、『The World of GOLDEN EGGS』という大ヒット作が生まれたことにより、何をやっても売れたといいます。
おかげで社員は20人ぐらいまで増え、死ぬほど儲かったそう。
この波に乗って、第2シーズンまでつくったものの上手くいかなくなり、山あり谷ありの経験をすることに。
もちろんここで終わることなく、広告関係にツテがあったことからクライアントワークをやることにしました。
いつまでも今までの事業にしがみついているだけでは船が沈没してしまうので、先を見渡すことが大事だといいます。
このように判断する力は誰かが教えてくれたわけではないものの、植村伴次郎氏の影響は大きかったようです。
これまで培ってきた様々な経験があるからこそ、先を見て判断することができるのでしょう。
その力がなければ、新しいものを生み出していくことはできないですもんね。
株式会社ソニー・デジタルエンタテイメント 代表取締役社長を退任
2017年11月30日付けで株式会社ソニー・デジタルエンターテイメントの代表取締役社長を退任しました。
バリューを残すために、あえて絶頂期に辞任したそうです。
そして辞めた翌日には本(『SNSで儲けようと思ってないですよね? 世の中を動かすSNSのバズり方』)を出版。
会社を辞めても集客力があることを世の中に見せるために、出版パーティーを行いました。
辞めるときにもセルフブランディングをし、その後の活動をきちんと考えていたといいます。
おかげで仕事が殺到し、現在は人生で一番働いているとのこと。
辞めることも宣伝にしてしまうなんて、やはりデキる人は考え方がすごいですね!
株式会社スピーディ 代表取締役社長
現在は2017年に株式会社スピーディを設立し、2018年より代表取締役社長に就任しています。
最新のテクノロジーとグローバルレベルのクリエイティブとノウハウをかけ合わせて、敏速に悩みを解決することから、命名したそうです。
株式会社スピーディでは、のんさん(能年玲奈さん)のマネージメントや芸能人・有名人の出演契約の整理・管理を行っています。
すでに芸能人のマネジメントを行っていることから、ジャニーズの新会社社長に適任なのも納得です!
まとめ
今回はジャニーズ新会社の社長候補に上がっている福田淳社長の学歴や経歴を調査しました。
中学時代から経営の感覚が身についており、敏腕社長であることがわかりました。
現在イメージが悪くなっているジャニーズのイメージを払拭し、新しいエンターテイメントを生み出してくれるかもしれませんね!
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