韓鶴子の生い立ちが壮絶すぎる!母親が宗教にハマり育児放棄されていた!

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世界平和統一家庭連合の教団トップである韓鶴子総裁は反日であることが明かされ、日韓関係への影響が懸念されています。

統一教会は日本の政治家とのつながりもあり、注目される人物です。

そこで今回は韓鶴子総裁の生い立ちを調べてみました。

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目次

韓鶴子総裁のプロフィール

引用:https://peraichi.com/landing_pages/view/hanhakkcyattedare2018/
プロフィール

名前:韓 鶴子(ハン・ハクチャ)

生年月日:1943年2月10日

出身地:日本統治下朝鮮 平安南道

17歳の時に当時40歳である世界平和統一家庭連合の教祖・文鮮明氏と結婚

2人の間には14人の子供がおり、多くの孫もいます。

1990年頃までは文鮮明氏と同行して活動していましたが、1991年に「世界平和アジア婦人連合」を創設以降、各国を講演で訪問するようになりました。

文鮮明氏は出入国管理法の規定により、日本に入国できないため韓鶴子総裁が代わりに来日することもあったそうです。

そんな韓鶴子総裁の生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?

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韓鶴子総裁の生い立ち

生まれる前から壮絶な生い立ちだった韓総裁。

文鮮明氏との結婚までをまとめました。

生まれる前から父親がいなかった

韓総裁がまだお腹にいる7ヶ月の時に、父親が婿養子になることを拒否して出ていったといいます。

生まれる前から父親がいない状況だったとは、韓総裁の母親も辛かったことでしょう。

父親のいない韓総裁は母親と祖母と3人で暮らしていたようです。

母親が宗教にハマった学生時代

8歳の時には朝鮮戦争の最中であったため、生まれ故郷の朝鮮半島から江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)市に一時的に避難をし、そこの小学校に通っていました。

韓総裁が11歳の時に、母親が初めて世界平和統一家庭連合の教祖・文鮮明氏と面会しました。

小学校を卒業した13歳の時に韓総裁も初めて文鮮明氏と出会うことになります。

母親は元々熱心なキリスト教徒でしたが、済州島で暮らすようになってからはそこで伝道されていた世界平和統一家庭連合を信仰するようになったようです。

そこから母親は宗教活動に熱中し、文鮮明氏の食事係を担当。

娘の韓総裁を置いて、教会での奉仕生活が始まりました。

そのため韓総裁と祖母は母親の弟に引き取られ、祖母に育てられる生活へと変わっていきます。

祖母に育てられながらソウルの善正(ソンジョン)女子中学を卒業し、カトリック系統の聖ヨセフ病院の看護補助員として働いていました。

人に奉仕する仕事をしていたなんて意外ですね。

文鮮明氏との結婚

17歳のときに文鮮明氏の伴侶として選ばれました。

おそらく母親が熱心な宗教活動をしていたこと、陰暦の誕生日が文鮮明氏と同じだったことが理由で選ばれたのでしょう。

当時17歳の韓総裁は、40歳の文鮮明氏と結婚することに抵抗はなかったのでしょうか?

13歳で初めて出会った時には、まさか4年後に結婚するとは思ったもいなかったかもしれません。

結婚当時、文鮮明氏には伴侶が誰であるかは明かされないまま結婚の準備が進められていたといいます。

このあたりも宗教らしさを感じられますね。

そして19604年3月27日(陰暦3月1日)に婚約し、4月11日に結婚しました。

引用:https://peraichi.com/landing_pages/view/hanhakkcyattedare2018/

世界平和統一家庭連合では歴史上初めて完成した女性として全人類の「真(まこと)の母」と意義付けられ、教団内では「真のお母様」と呼ばれているようです。

「真の父」とされる文鮮明氏とともに呼ぶときは「真の(御)父母様」(正式には「天地人真の父母様」)と呼ばれているといいます。

17歳で父親と同じぐらいの年齢の人と結婚することになり、教団内では「真のお母様」と呼ばれるようになるなんて、今までの生活とは一気に変わってしまったことでしょう。

現在は教団のトップとして君臨していますが、文鮮明氏と結婚した当時は戸惑うこともあったかもしれませんね。

韓総裁と文鮮明氏の間に生まれた14人の子供についても調べてみました。

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韓鶴子総裁の子供は?

韓総裁は22年間で14人の子供を出産しています。

  • 第1子:文譽進(長女)
  • 第2子:文孝進(長男)→アルコール依存・薬物依存、心臓麻痺で死亡(45歳)
  • 第3子:文恵進(次女)→生後8日で死亡
  • 第4子:文仁進(三女)
  • 第5子:文興進(次男)→事故死(18歳)
  • 第6子:文恩進(四女)
  • 第7子:文顕進(三男)
  • 第8子:文國進(四男)
  • 第9子:文權進(五男)
  • 第10子:文善進(五女)
  • 第11子:文榮進(六男)→事故死?
  • 第12子:文亨進(七男)
  • 第13子:文妍進(六女)
  • 第14子:文情進(七女)

長男と次男は後継者として期待されていたようですが、若くして亡くなってしまいました。

文鮮明氏の死後、韓総裁・三男・七男の3人で誰が後継者となるかかなり揉めたようです。

結果として子どもたちではなく妻が総裁を受け継ぐこととなりました。

七女に至っては統一教会の暴露本を出版しており、親子関係が良くないことが明かされています。

子沢山の家庭は家族のつながりが強いイメージですが、宗教が絡んでいる以上やはり別物の考え方なのでしょう。

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まとめ

今回は統一教会のトップである韓鶴子総裁の生い立ちを調査しました。

壮絶なる子供時代を送っていることがわかりました。

もしかしたら親子関係が良くないのも生い立ちが関係しているのかもしれません。

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