タレントやコメンテーターとしてバラエティー番組で活躍している長嶋一茂さん。
父親は、元野球選手でジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄さんなのは有名ですよね。
長嶋一茂さんも元プロ野球選手時代がありました。
引退理由や野球の才能が気になったので調べてみました。
長嶋一茂さんは元プロ野球選手
長嶋一茂さんは、1988年~1992年までプロ野球選手として活躍していました。
1988年~1992年:ヤクルトスワローズ
1993年~1996年:読売ジャイアンツ(巨人)
9年間プロ野球選手として2球団に所属していました。
若い世代の人たちは長嶋一茂さんがプロ野球選手だったことを知らず、驚かれることもあるようです。
当時は、有名な長嶋茂雄さんの息子ということで世間からも注目を浴びていました。
そんな長嶋一茂さんは、なぜプロ野球を引退したのでしょうか?
長嶋一茂さんの引退理由は?
長嶋一茂さんは、1996年戦力外通告を受けて30歳で引退しています。
プロ野球に残れるようなレベルではなかったので、辞めたくなかったけど辞めざるを得なかった。
と徹子の部屋で答えていました。
引退理由となった戦力外通告を受けた原因は3つあるようです。
- 右肘負傷
- パニック障害
- 暴言事件
右肘負傷
1995年、高校時代に剥離骨折をした古傷の右肘が限界を迎えていました。
日常生活に支障が出るほど悪化していたそうです。
渡米してスポーツ医学界のフランク・ジョーブ博士の手術を受けました。
しかし1995年は1軍の試合出場は減少し、成績を残せないまま過ごすことに…。
1度大きな怪我をしてしまうと復帰するまでに時間がかかり、現状を戻すのも難しくなります。
長嶋一茂さんも怪我により成績が伸びず、戦力外通告を受けたようです。
パニック障害
1996年の引退直前にパニック障害という診断を受けています。
当時は狭い空間に入ると恐怖を覚えたり、突然過呼吸・めまい・息苦しさを感じていたそうです。
パニック障害になった原因は公表されていません。
ストレスを感じたり、幼児期につらい経験をしていたりする人がなりやすいそうです。
長嶋一茂さんも少しずつストレスが溜まり、パニック障害になった可能性もありますね。
また幼い頃から父親の影響が強く、プロ野球選手になってからも周りからの圧力があったのかもしれせん。
練習にも行けず、野球どころではなかったため、2軍に降格し試合にも出場できず、戦力外通告を受けたようです。
暴言事件
1996年の引退直前に“何様事件”が起こりました。
一茂の暴言騒動。チームが低迷し、巻き返すへチーム一丸となろうとしている中、バンド練習を課せられた一茂が土井コーチに対して「何様のつもりだよ、くだらねぇ。あんなやついらねぇ。」など暴言。一茂はその後、2軍降格となった。
引用:スポニチ
暴言により長嶋茂雄監督から注意を受け、2軍降格となり謝罪と罰金50万円を払うことになりました。
この騒動後、成績も残せずパニック障害になり、体調を崩し戦力外通告を受けたようです。
そんな長嶋一茂さんですが、野球の才能は凄かったと言われています。
長嶋一茂さんは野球の才能が凄かった
長嶋一茂さんは、野球の才能があると野球関係者の方々に言われていました。
力が本当に強い。首も太い。すごくいい体をしていて、才能が凄いんですよ。肩も強いし、足も速いし。
打者としては並外れた才能がありましたよ。
才能はありましたが、野球の考え方や取り組みに対して緩いところがあったようで実力を発揮できなかったのではないかとも言われていました。
実際のところ、大学生の頃が1番才能を開花していたようです。
野球の経歴ー小学生時代~大学時代ー
長嶋一茂さんの野球の経歴を紹介します。
小学校:リトルリーグ
中学校:陸上部
高校:立教高校・野球部
大学:立教大学・野球部
小学生から野球をしていましたが、長嶋茂雄さんの息子ということでマスコミがたくさん試合などに来ており注目を浴びていました。
それが嫌で野球もつまらなくなり、小学5年生の時に野球を辞めています。
中学生では野球をしておらず、再び野球を始めたのは高校生の時でした。
1980年に長嶋茂雄さんが巨人の監督を解任されたことがきっかけとなったようです。
1980年秋、長嶋茂雄の巨人監督解任である。
ふざけやがって…父親を切り捨てた巨人軍に無性に腹が立った。こうなったら、俺があいつらを見返してやる。そして、友人達にこう宣言するわけだ。「俺、高校へ行って野球をやるから」と。
引用:NumberWeb
尊敬する父親だからこそ長嶋一茂さんの野球熱が再熱したのかもしれませんね。
父親と同じ立教高校に一般入試で進学し野球を始めました。
ブランクもあり、長嶋茂雄さんの息子なのに下手だと言われたりしたそうですよ。
しかし、徐々に才能を開花し、高校2年生では”4番ファースト“までにも成長しました。
夜更かしをしてまで自主練習をしていた努力家でもあるようです。
名門立教大学の野球部では、1年生からレギュラーとして活躍!
4年生では、4番でキャプテンとして野球部を引っ張っていました。
ベストナインにも選ばれたり、大学日本代表にも選出されていました。
長嶋一茂さんは、野球で1番面白かったのは大学時代だったと発言しています。
学生時代に培った努力家をプロでも続けられていたら、戦力外通告を受けることもなかったのかもしれませんね。
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